聖武天皇はなぜ、信楽の土地で発願したのか?

 聖武天皇はなぜ信楽の土地で発願したのか?ということを考えた時に、自ずと頭に浮かんだのは「琵琶湖」。近江と呼ばれたこの湖は、世界でも三番目に古い古代湖だという。日本の真ん中に位置する、巨大湖。そして、そこに降り注ぐ水は白山信仰を中心とした水。琵琶湖の周囲を中心として祀られる、この信仰の仏、十一面観世音菩薩はまさに水の神。

 聖武天皇、行基は水の神を祀る。琵琶湖を祀る。

 天を仰ぎ、祀る事が人々の安寧をはかる。その第一に日本人が古く祀って来たのが水の神。水の神を祀ると晴れ、水の神を祀ると雨が降る。天地のバランスをとり、人の身体のバランスもはかる。

 信楽の土は琵琶湖の古層の土。その土で瓦を作る。須恵器を作る。それは陶工でもあった行基がその技術をもって、神仏を祀るのにふさわしい、と考えたのではないだろうか。須恵器はそもそもが神仏を祀るために作られた。神仏への捧げ物を入れる器である。器の「口」は祈り。

 日本を祀る、そのためにまず信楽で発願したのはきっと大いなる「意味」があったに違いない。結局彼らの思いはこの信楽で結願することは叶わず、奈良東大寺に盧舎那仏という結願の形が今尚遺る。

 そこで聖武天皇、行基の意思をなんらかの形で引き継ぎ、この信楽の土地を「発願の地」と思い出した、その瞬間から、天平、令和が繋がった気がした。

天平、令和を横に繋げると、驚くことに「天令、平和」となる。

「天に令えば、すなわち平和に導かれる」ことを意味する言葉となる。

 おこがましくも、祭を思い立ってから、この数年、遠い、天平から、聖武天皇、行基の微笑みがいま、わたしたちの上に降り注いでいるように思われて仕方ない、。