発願祭のポスターの赤い「炎」の文字の下にある三本足の器のようなもの。それが「鼎」です。音読みで「てい」・訓読みで「かなえ」と読みます。
「鼎」は中国古代の器で祭器としても使われました。
「鼎」は人々の祈りと、自らの決意を示すものだった。「器」という文字には口が沢山付いている。人々の心から発せられたものをどんどん「「鼎」も吸い込んでいく。そして火で清め、神に届くようにと炎や蒸気をあげて、宙に舞い、天に上がる。
今回使う、「鼎」は信楽焼の壺である。壺の中にも天がある。天とは上のことばかりではない。自然や先人、祖先、古人は天をそのようにみていた。
壺の中の天には信楽の土、火、水、そして人々の思いが凝縮されている。「土地」そのものである。
そこに人々の意識が集まる。思いや祈りをくべる。今、まさに令和元年を迎えた。この令和という御代をどのように導くかは天皇だけではなく、人々の祈りや決断が必要なのだ。
元号とは大いなる時代の象徴となる。過去を変えることはできない。しかし、未来を作ることはできる。よき未来になるにはより多くの人の、よき決意が必要なのではないか、と思う。
よき決意をするには最初の三年くらいがなにより重要。
この信楽は琵琶湖の南。大いなる御代の始まりの地を賀ぐにはこの土地が必要だったのではないだろうか。
琵琶湖は大いなる水の象徴。水の神そのもの。
その琵琶湖の古層の土で、この大地で、ここに集まる人々の炎で
未来へ繋がる意味を示す。そうした機会になってくれたらありがたい。
竹若宮司の祝詞の後、
「鼎」に短冊としての人の祈りを、朝宮のお茶を、そして、香をくべる。
その祈りは果たしてどのように「天」の届くのだろうか?
まずはここから始める。
ある意味、ここは日本の中心の南。
鳳凰の里。
水と同じだけの力の火の力が篭る土地なのだ。