忘れられた日本文化の記憶〜『麻紙』の復元
麻は、古来より日本の神聖な儀礼において重用されてきました。そのことは、現在も神社に残る麻の扱い方、特に伊勢神宮をはじめ神社で厳重にお祓いが施されている神札が『大麻』と呼ばれている、という事実などからも伺い知ることができます。
また、正倉院に遺されている最も重要な文書が麻紙に書かれていたことや、麻の葉文様が伝統的に産着や女性の着物として一般的に用いられていたことからも、麻は「護られるべきもの」になんらかの効力があると知られていたようです。
現在では、衣類やリネン類の一素材として、またその実が食材として用いられるなど生活の限られた領域でのみ接するにすぎず、さらに麻の栽培そのものが規制されているため実物を見ることも叶わないのが現状ですが、昭和23年の大麻禁止法以前の日本では、今からは想像できないほど麻は、日本人の生活に身近で、かつ深く浸透した伝統素材であったようです。※1
この度、かつて神社で使用されていた麻紙を、日本の麻のみを原料とし、伝統技術により復元。そして、この麻紙が「伝統」にふさわしい神社で祀り事に使って頂くことがひとつの「忘却された日本文化の記憶の復元」の端緒になることを願い、制作させていただきました。※2
麻紙を手で漉くには通常の3倍以上の労力がかかると言われています。この布のように美しく、白く気品のある丈夫な麻紙は、越前の紙匠人間国宝岩野市兵衛氏の特別なご厚意により実現いたしました。原料は上質な栃木産の大麻を譲り受けることが叶い、現在望みうる最高の麻紙を復元することができたと思っております。
想像するに、先人たちは大麻畑に落ちる雷をみて、その帯電していく様を観察し、神社の稲妻型に切取られた紙垂を見て、その境に神と同等の力を感じ、より一層白い紙を漉くことを神に通じることと認識したのだと思われます。
この紙の美しさから先人たちの神に対する想い、
自らの中に美しさを見いだす心を思い起こして頂ければ幸いです。
民俗情報工学・伝統材料研究
井戸理恵子
平成16年7月1日
※1
昭和23年GHQによって大麻禁止法が施行される以前、日本の至るところにこの草は生え、至るところで我々の先人たちは「生活の知恵」と共にこの植物を扱って参りました。土壁、畳、屋根、蚊帳、着物、下駄の鼻緒、紙、漁労やロープの類、など日常的なものから、儀礼的なものにまでその用途は広いものでした。素材としての特性、産地の特定などから、捉えていきますと、「湿度を吸湿しやすく、放湿しやすいという性質」、「丈夫である」という日本の気候に合った利点があげられます。大麻禁止法以降、日本における大麻栽培は大きく制限され、現在は「神社用」あるいは「伝統を護る」という趣旨のみで大麻の栽培が許されています。
※2
麻が日本人の生活や精神性に深く関わってきたことの「意味」や「必然性」を明らかにしたいという想いから科学的な研究を進める中で、現代社会において先人たちの失われた記憶を復元することの重要性を認識するに至りました。
平成14年以来、名古屋大学高等研究院武田邦彦教授を中心とする名古屋大学COE(自然に学ぶ材料プロセッシング)活動の一環である「伝統材料と環境」に関する研究の成果として、楮や桑など他の桑科の植物と比べ同じ地域での大麻繊維の重金属値が圧倒的に高いことが判明しました。現在、鉱山地域に多く麻そのもの或いは麻産業に関与すると考えられる地名が遺っていること、他「類聚和名抄」の地名などから土壌の改善を鑑み、意図的に麻が植えられていた可能性などを課題として捉え研究中。